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熊本・藤崎台球場を巡る伝説の数々…“熊本の乱”に新庄剛志“二刀流”デビュー

熊本・藤崎台球場を巡る伝説の数々…“熊本の乱”に新庄剛志“二刀流”デビュー (夕刊フジ) - Yahoo!ニュース

 

 【江尻良文の快説・怪説】

 昨年4月19日の巨人-中日戦は熊本大震災で中止になったが、今季の巨人-ヤクルト戦は無事行われた。舞台の熊本・藤崎台球場を巡る伝説の数々とその背景は…。

 

 巨人・王貞治が現役最終打席を飾る右翼席へのホームランを放ったのが、この球場。当時は秋にもオープン戦があり、現役引退発表後の1980年11月16日・阪神戦の第3打席で宮田から有終の美を飾った。

 

 もっとも一足先の10月21日に長嶋茂雄監督電撃解任劇が勃発し、社会的大事件に。“世界の王”の最後の1発もあおりを食って目立たなかった。

 

 87年6月11日の巨人-中日戦で起こった“熊本の乱”も王氏絡み。この年、巨人監督就任4年目で初優勝を飾ったが、就任1年目の熱血を売りにした中日・星野仙一監督と激突。死球に激怒した巨人・クロマティが中日・宮下の右アゴにパンチを見舞い、両軍総出の大乱闘に発展した。

 

 星野監督王監督の胸ぐらをつかんだことから、「星野ごときが世界の王に向かって何をするんだ」と球界OBたちが激怒したが、宿舎に戻った王監督は「星野もチームの指揮を執っている身だから引けないところもあったんだろう」と相手をかばった。騒動がこれ以上広がるのを防ぐための配慮だったのだろう。

 

 野村克也監督の下で阪神新庄剛志外野手の“二刀流”デビューがあったのも、藤崎台球場。99年3月5日の巨人とのオープン戦で、2番手で初登板。元木、二岡、後藤を三者凡退。二刀流はこれくらいの余興で済ませるのが一番だろう。 (江尻良文

 

かの有名な江尻記者の寄稿文。新庄の二刀流にを余興で終わらせているが、その後、配球を考えるようになり、真の一流選手になった試みを、このベテラン記者には余興に見えるらしい…

自分の信じるもの以外認められない人間にはなりたくないものだ