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大阪ミナミで4年目 元阪神の浅井良さんはバーの経営者に

大阪ミナミで4年目 元阪神の浅井良さんはバーの経営者に - ネタりか

 

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2001年に自由獲得枠で阪神に入団、思い切りのいいバッティングと広い守備範囲でファンに愛された選手がいた。13年シーズンを最後に戦力外通告を受け、引退を余儀なくされた浅井良さん(37)、今どうしているのか。

■引退した翌年にバーをオープン

 会ったのは大阪市営地下鉄・心斎橋駅から徒歩5分、ミナミのビル3階に入るバー「AZAS’(アザス)」。浅井さんが経営する店だ。

「引退した翌年の10月にオープンしたので、4年目です。お酒が好きやったし、人としゃべるのも好きやったんで」

 はにかむように言った浅井さん、店のロゴ入りTシャツがよく似合っている。

「筋肉はすぐに落ちてしまうんで、体重は現役時代より5キロくらい減り、一回り小さくなりました。引退したのは34歳。他の球団でもやってみたかったんですが、オファーがなかったらできない。NPB(日本野球機構傘下のセ・パ両リーグ)以外のチームではやる気がなかったので、店を始めることにしたんです」

 出身は横浜。阪神引退後も大阪に残ったのは、水が合っていたから?

「大学を出て、もうずっとこっちですからね。心斎橋に決めたのは、どこに店を開こうか、いろいろ見て回って、人通りの多い立地の良さで決めました」

 13坪のフロアに15席の店内は、清潔感のある白を基調とした色使い。カウンターテーブルに飾られた小さなライトが、上品でおしゃれだ。

「業界の知り合いの方に力を貸してもらいながら、内装とかインテリアとか全部、自分で決めました。阪神ファンの方がよく来てくれますね。皆さん、阪神についてボクよりよく知ってるので、昔のことを教えてもらうこともありますし、○○選手ってどんな人なのって聞かれたり。選手のころはファンと身近に接することがなかったので、店で直接話ができるのは面白いです。お客さんに楽しんでもらって、また来たいと思ってもらうにはどうしたらいいか、考えながらやってます」

■週1回は野球スクールで子供たちを指導

 店にはカラオケやテレビを設置。プロ野球シーズン中は試合の録画放送を流すなど工夫する。

「店をやってて、しんどいこともありますよ。野球をやってる時は一日のタイムスケジュールが決まっていたので、決められた通りに動けばよかった。でも、今はすべて自分で決めて動かないといけない。あとは体調ですね。営業時間が夜9時から朝5時までなんで、朝帰って寝て、昼前に起きる昼夜逆転生活です。前日に飲み過ぎても、翌日ちゃんと店に来ないとアカンから」

 お酒は1杯800円から。アルバイトを1人雇っているが、休みの日曜・祝日と水曜に限り、遅めの時間に出勤することを除けば、浅井さんはずっと店にいる。

「ボク自身がちゃんと店にいることが大事だと思うので、毎日夜7時ごろに来て掃除して……ってやってます。水曜は5歳くらいから中3までの子供たちに野球を教えてるんです。『ブリスフィールド東大阪 スポーツアカデミー』という野球スクールで、夕方4時から夜9時まで。こちらは2年目になりますね」

 多忙な浅井さん、昼間は何をしているのか?

「店の近所に住んでいるので、家でゆっくりしてますよ。1歳の娘と遊んだりとか。ボクは野球をやめてから結婚したんです。相手はフツーの人。まあ、そのへんはいいじゃないですか(笑い)」

 さて、浅井さんは桐蔭学園高校から法政大学に進み、01年に阪神入団。キャッチャーやライト、ファーストなど、複数のポジションを守れる器用さを生かして活躍した。

「キャッチャーでプロに入ったんで、ずっとやりたかったんです。でも、それだけの力がなかったから、いろんなポジションをやらざるを得なかった、ということです。プロは出て使われてナンボですからね。また野球の世界に戻れたら? 今はこの店の経営を精いっぱいやるだけです」

 

懐かしい名前である。

スポーツ選手の第二の人生が気になる中、こうして立派に一国一城の主として、便りが届くとうれしいものである。

現役時代はどこでも守れるユーティリティープレイヤーだったが、引退後もそうなのであろうか?

近くにお住まいの方は一杯飲みに行かれることをお勧めする。